火戯び知らずに、生きていく?
Smileは男女男の3Pサークルです。
秘められた自由や禁断の行為への欲望。多くの人達が一度切りの人生で現実に移さぬまま終わっていくのではないでしょうか?でも、本来自由であるはずの私たちがやりたいことをやらず、日常に埋没していくのは、少し切なくありませんか?
私達は秘密を保守し、安全な場所を提供し、その夢を現実に孵化する場所を提供したいと考えています。まずはじめに、あなたが一生懸命温めていた気持ちを聞かしてくださいね。
私たちはそれがどんなものでも決して笑い飛ばしたり、否定したりしないことを約束します。
開放的なセックスはいけないもの?
「肉体的な幸福なくして人の生は楽しいものであり得ようか? 祝福された神々の生ですら、この幸福なくして望ましいものであり得ようか?」
_詩人シモニデス
乱交、男女男プレイ。脊髄反射的にこれらの言葉に抵抗を覚えてしまう人はたくさんいます。そんな行いをしてしまったら、道徳的な背徳や自らが犯すべからざる汚い領域に追い込まれてしまうんじゃないか。即ちそれは、「汚らわしい」「不道徳」「へんたい」… 。
不名誉かつ恥ずべき烙印を自らに付与してしまうような恐怖。
そこから行為に興味を持ちながらも踏み出せないのではないでしょうか?
然しながら、その価値観は果たして全ての時代に前提的なものなのだろうか?
例えば古代ギリシアの叙事詩『オデュッセイア』の記述を見てみよう。
その中で「美」の女神アフロディテは、
鍛冶の神ヘパイストスという旦那がありながら、
太陽神アレスとの不義の関係に耽溺している。
ヘパイストスは懲罰として自らの同胞にその瞬間を垣間見させる。
しかしそこで神々は口を揃えていう。
「たとえ強固な絆の鎖にあっても、あのアフロディテの横に寝ることができるのなら…」
神々は皆々それに同意し、ヘパイストスは屈辱を受ける。
「美の神」の勝利。つまりこの寓話は恋愛における所有の概念の敗北であったのだ。
この時代のギリシアには性の雰囲気 は鷹揚さの元にあった。
全く快活な、陽光の下にあるような牧歌的な雰囲気が漂っている。
アッシリア最後の王サルダナパルスは、自らに次の墓碑銘を記した。「我は王であった。そして太陽の光を見る限り、食べ、飲み、愛の喜びを称えた。人の一生は短く、変転と不幸にさらされ、残した財産は他人の利益となることを知っていたからである。この理由により、私は一日たりともこの生き方を怠らなかった。」
アリストブロス「食べよ、飲めよ、遊べよ――他のものはそれほどの価値はない。」
快楽主義というのは かつては公然と認められていたものであり、生きることの最大の追求とも言われていた。
ただしかつてのギリシアでさえ、快楽はその奥ゆかしさと同列に論じられており、性の解放と禁欲は相互に補完しあう相補的なものとされた。従って彼らは性の解放に必要な最大の緊張を得る其の為に禁欲に努めたとも解釈されるのである。
そのことが、享楽主義的思想を持ちながら、同時に軍事的に強固で安定した国家の形成を可能にしたのだと考えられる。
知的な創作心を灯す
創作活動は単なる趣味ではなく、知性を刺激する舞台です。人との対話、空気の熱、そして自分の心の変化。
それらは教科書には載らない学びであり、自分を豊かにする発見です。私はその一歩を、あなたに寄り添いながら照らし出すためにここにいます。